巧を知る - History

1960-1985

高度経済成長期の激動の中、創業者の今井良松は、自らの手で事業を興したいとの志を胸に勤務していた銀行を退職。1966年、借り工場を拠点に、個人事業として鎌ケ谷巧業を創業しました。当然経験も知識もない発足当時、クズ鉄集めを中心に貯水タンクの製造など依頼される仕事に試行錯誤の中で答えたのです。1969年2月、千葉県印旛郡白井町富士140番地に自社工場を構えた際も、工場の建設を自分たちの手で行うなどすべてが手探りでした。次第に、貯水タンクの製造や屋外広告の鉄骨製造・組立の依頼が増え、今の事業に続く鉄骨の加工・組立事業に主事業を推移させたのです。1969年4月には、千葉県鎌ケ谷市鎌ケ谷1丁目6番50号に営業、経理を移転し本社を設置。業績は決してよくなかったものの、先見性とアイディアに満ち溢れていた創業者・今井良松は、当時日本に3台しかなかった、株式会社タダノ製の45tクレーン車を購入。自前でクレーン車を持つことがとても珍しい時代の決断でした。このクレーン車を武器に、1970年の大阪万博の頃には広告塔や看板の鉄骨加工、取付をメインに全国の仕事を手がけました。

また、広告塔の設置を効率化するクレーン車の製造を、メーカーに依頼するなど従来の常識にとらわれないアイディアで、業績を拡大。これを背景に、1972年には初期鎌ケ谷巧業の大きな挑戦となった新潟営業所設立、翌年1973年には白根工場設立と多拠点展開をスタートしたのです。元々、東北への拠点展開も考えていたものの、地の利を求めて創業者が生まれ育った新潟での拠点開設に至りました。さらに1980年には、刈羽工場を開設。この多拠点展開の裏には、生産力の増強とともに創業者の人への思いがありました。「ブルーカラーであっても、いずれはホワイトカラーに立身・出世できる仕組みをつくりたい。」鎌ケ谷巧業に流れる、人を大切に育てる姿勢はこの頃から変わりません。オイルショックで広告看板の仕事が激減した際、売上を維持するべく住宅の建築など様々な仕事を取りに行ったのも社員の暮らしを守ることを何よりも大切にしていた姿勢の表れと言えます。その後、業績が安定し始めた1983年頃に、主事業である建築鉄骨一本化の流れへと会社の方向性を定めたのでした。

1966年(昭和41年)

4月

個人営業として発足。鎌ケ谷巧業として鉄骨及び鉄塔製作・組立業を始める

1969年(昭和44年)

2月

千葉県印旛郡白井町富士140番地に鎌ケ谷巧業株式会社を設立(現在B・P倉庫)

4月

千葉県鎌ケ谷市鎌ケ谷1丁目6番50号に営業、経理を移転し本社とする。

1969年(昭和44年)

10月

建設業許可番号取得(般)44-8165号 資本金1,000,000円

1971年(昭和46年)

2月

増資5,000,000円

1972年(昭和47年)

12月

新潟営業所設立

1973年(昭和48年)

9月

白根工場設立

1977年(昭和52年)

3月

増資10,000,000円

4月

新潟県事業所開設により建設大臣許可取得
建設大臣許可(52)-第7569号 許可内容(1)鋼構造物工事業 (2)一般建築工事

9月

刈羽工場設立

1980年(昭和55年)

白根工場増設、一次加工ライン整備

1982年(昭和57年)

4月

本社第一工場設立

1983年(昭和58年)

11月

新潟営業所を白根工場内に移転合併

1986-2016

1986年には、本社事務所を現在の千葉県鎌ケ谷市東初富6-7-20に新設移転。この頃、経営はもちろん営業や経理、現場の管理まで会社の全てを手掛けていた社長の要請により、現社長今井靖彦が入社しました。事業をしっかりと引き継ぐことができるよう、次代を見据えた親子での舵取りが始まったのです。平成に入ると生産性向上のためにさらなる機械化、高度化を推進。1991年、時代に先駆け導入したCADシステムは、数千万という投資ではあったものの手書きでの「原寸」作業をなくすことができ、業務効率が飛躍的に向上しました。さらに、大きな分岐点となったのが1993年、バブル崩壊後、社会の勢いが失速する中で決断した白根工場の増設及び溶接ロボットの導入です。これも、景気悪化による価格の下落を生産力の向上とロボット導入による効率化でカバーすることが狙いでした。この他にも増設に踏み切った白根工場は、女性の働きやすさに配慮した工場でもありました。冷暖房完備や集塵機の設置、さらには従来の工場のような無機質さとは一線を画す、カラフルな外観を採用したのです。また、創業間もない頃、広告塔の設置に適したクレーン車の製造をメーカーに依頼したように、溶接ロボットを製造する神戸製鋼所にデータを提供することで、天吊溶接ロボット1号機の製造や新商品開発にも貢献し、技術の壁を乗り越えていきました。

時代が変わっても、常に一歩先を見つめ続けるアイディアと実行力こそ、鎌ケ谷巧業の真骨頂と言えるでしょう。1999年には、会社のシステムの明確化や強い組織作りのためISO9002を取得。以降鉄骨製作工場の性能評価基準も随時取得するなど、品質向上への取り組みも重ねました。そして、2005年2月に経営に深く携わっていた現社長今井靖彦に社長を交代し、新体制での鎌ケ谷巧業がスタート。体制は変わったものの、先代が大切にしていた「人への想い」「技術革新」への想いを継承し、培った歴史を大切にした経営が行われました。2009年、本社第一工場に1次加工全自動ラインシステム導入。2014年、白根工場にREGARC(天吊マルチワーク溶接ロボットシステム)導入。2015年、本社第三工場稼働開始。そして、創立50周年記念事業として計画されている、全自動一次加工ラインを実現した(仮)白根第二工場の開設。この全自動一次加工ラインシステムは「ラインを自動化することで、人員を減らしながら生産性を確保したい」という先代社長の夢を叶えるものでもあります。時代の浮き沈みに左右されず、安定した会社でありたい。そして、社員とその家族の暮らしを守りたいという思いを実現する取り組みなのです。創立50年。いま鎌ケ谷巧業は、次の50年を見据え、主事業はもちろん様々事業にも積極的に挑戦する姿勢で、新たな一歩を踏み出しはじめました。

1986年(昭和61年)

9月

本社事務所新設移転

1990年(平成2年)

3月

白根支店 CADシステム導入

1991年(平成3年)

2月

刈羽工場増設

1993年(平成5年)

6月

白根支店工場棟増設(溶接ロボット導入)

1993年(平成5年)

10月

白根支店事務所棟増設

1996年(平成8年)

6月

本社第一工場事務所棟増設

1999年(平成11年)

12月

ISO9002取得

2001年(平成13年)

6月

Hグレード取得

2002年(平成14年)

12月

本社増築

2003年(平成15年)

2月

ISO9001-2000取得

4月

Mグレード取得

6月

本社第一工場棟増築

2005年(平成17年)

6月

本社第一工場改修

2007年(平成19年)

1月

刈羽工場改修

12月

本社第二工場新設

2009年(平成21年)

5月

ISO9001-2008取得

11月

1次加工全自動ラインシステム導入(本社第一工場)

2010年(平成22年)

8月

鉄骨天吊柱大組立溶接ロボットシステム導入(本社第二工場)

2014年(平成26年)

8月

REGARC 天吊マルチワーク溶接ロボットシステム導入(白根支店)

9月

白根工場ストックヤード増設

2015年(平成27年)

5月

教育事業進出

6月

千葉ジェッツオフィシャルパートナー契約締結

8月

本社第三工場稼働

11月

REGARC 柱大組立溶接ロボットシステム導入(本社第二工場)
REGARC 天吊マルチワーク溶接ロボットシステム導入(本社第二工場)
REGARC 省スペース型鉄骨コア・仕口兼用溶接システム導入(本社第二工場)
ドリルバンドソー導入(刈羽工場)

2016年(平成28年)

4月

創立50周年

11月

全自動一次加工ラインを実現した、白根第二工場開設